第207大隊

日本語すら出来ないので注意です!!

米軍が前線からの報告をまとめた公報「戦術と技術動向」第1部から第20部まで(1942年6月18日から1943年3月11日まで)

※辞書や翻訳サイトを利用しているため誤訳や誤字が多いです

またページ数が多いため(第1部から第40部まであり総ページ数は2000ページに及びます)

基本的に興味深いところを掲載し、出来るだけ説明を端折って掲載しています

 

本書の第1部から第20部は1942年6月18日から1943年3月11日まで発行されたものです

 

戦術と技術動向と発展

 

この公報は週二回発行され、内容は軍および作戦に影響を及ぼす戦術と技術の最新情報で構成されています

基本的に公式の情報源から得たもので、主に現地にいる米兵や第三者からの報告書から抜粋しています。コメントや評価はその都度、掲載しています

地上部隊や作戦に直接関係するものや空軍、海軍に関する情報は掲載しません

また資料は兵器や作戦に基づいて随時掲載し、情報源は最後に記載します

 

 

最後に師団長や上級指揮官は各々に配備された物資について遭遇した技術的問題についての経験をこの会報に寄稿するように求められている

 

 

日本軍の爆撃方法

 

日本軍は爆撃機の編隊を目的地の上空に到着させても爆弾を全く落とさない

しかし、これの10分から15分後に別の爆撃機編隊が到来し爆撃する。この時に出来るだけすべてに損害を与えようとする

 

また日本軍は「隠れ戦闘機」という戦法を使う

これは爆撃機編隊を迎撃に上がった英軍を空中戦に引きずり込んだ後、爆撃機を一機残し、すべて帰投する。残った一機は英軍戦闘機が着陸するまで丘の向こうなどに潜み、着陸した瞬間に影から飛び出し、地上で英軍機を破壊する。この欺瞞攻撃はシンガポールで効果的に使われ、建造物だけではなく人々にも多くの被害が出た

 

最近のポートモレスビーの空襲では日本軍機5機が爆撃機隊の90秒前に飛来し、白いスモークで十字模様を作り、爆撃機隊はその真ん中を通り、約12秒後に爆弾を投下した

「レイクマン」で知られている英軍の対空マウント(下に参考画像)は英軍中東司令部や総司令部において、あまり良い反応が出ていない。戦車や装甲車にこのサポートは必要ないと述べており、英国王立機甲軍団本部にもこの相談が来たそうで一定の意見の相違があることが確認された

検討の結果、この対空マウントはいらない となった

これは中東でもイギリスでも対空砲手の保護がされてないのが最大の欠点であるとされたからである

しかしこの議論がされている間、英国第八機甲師団が英国人将校によって対空マウントがつけられたバレンタイン戦車が作られた

これを英国機甲本部や参謀本部が見た結果、非常に可能性があるものだと判断した

このため戦車設計部長は参謀本部から可能な限り、すべての戦車と装甲車にこの対空マウントを組み込めるか調査するように依頼された

しかしキューポラを装備した車両では装着できないと懸念されている

一方で王立機甲部隊の司令官は改良型対空マウントの設計と製造をするまで、現在のレイクマン対空支援を付けるように依頼している

 

 

 

日本対戦車中隊の編成

以下のものはビルマで活動している独立対戦車中隊の編成である(下の画像の図)

総戦力は150名

 

37mm対戦車が8門  各砲は1.5tトラックで運ばれ、トラックには約150発の弾薬が積んである。兵士用の自動車はない

 

戦術的な採用例

ラングーンへの侵攻のときに部隊は細分化され、第33師団と第55師団に各2個小隊が配備され、第55師団に配備された2個小隊は戦車部隊と共に行動する予定でしたがシッタン川を渡河できなかったためできなかった

 

リビアのドイツ軍地雷原

トブルク地区で遭遇したドイツ軍地雷原はごく少数の例外を除き、対戦車地雷と対人地雷の組み合わせだったと報告された

 

Sマインと呼ばれる対人地雷は、テラミーネと呼ばれる対戦車地雷の前方に頻繁に設置されており、地雷原の掃討する場合、作業をより危険なものとした

 

また敵の接近を感知するためにトリップワイヤーも使用された

T地雷と呼ばれるものは通常、点火器を地面と同じ高さにし、そのあと土をならすのだが巧妙な隠蔽に遭遇したことがなく、大概地面が荒れているのでこの地雷は簡単に見つかった

あるケースではT地雷が意図的に配置されているのを発見した。このT地雷の側面にはケーブルが付いており、地雷を意図的に単発、もしくは複数を爆破させることができた

 

Sマインは通常、アンテナが2cmぐらいしか見えないように設置した後に地面をならし隠蔽するのだが、これも巧妙な隠蔽に遭遇したことがなく簡単に位置が特定できた